子規の家族
母 正岡 八重 (まさおか やえ)
妹 正岡 律(まさおか りつ)
弘化2(1845)年〜昭和2(1927)年
松山藩の儒者、大原観山の長女として生まれる。松山藩御馬廻加番役正岡常尚と結婚。明治5 年、夫常尚死亡。夫の死後は、実家である大原家の庇護を受けるが、明治8年士族の家禄奉還により一時金1200円を与えられ、裁縫を教え家計を補いながら子規と律を育てる。子規に呼び寄せられて上京、子規の最期を看取った。
子規については、「小さい時分にはよっぽどへぼでへぼで弱味噌でございました」と回想している。
明治3(1870)年〜昭和16(1941)年
明治18年結婚、20年離婚。22年再婚、23年離婚。
松山から上京後、献身的に兄の看護した。律によく癇癪を起こしていた子規も「雇ひ得たるとも律に勝る所の看護婦即ち律が為すだけのことを為し得る看護婦あるべきに非ず」と書いている。
子規の死後、家督を継いだ律は神田の共立女子職業学校(現在共立女子大学の前身)に入り、卒業後は母校の事務員を経て教師となる。母八重看病の為に退職した後も、子規庵で裁縫教室を開き生計を立てながら子規の遺品遺墨と庵の保存に努め、昭和3年財団法人子規庵保存会 初代理事長に就任した。
大正3年正岡家の本家筋に当たる加藤家より従兄弟忠三郎を養子縁組。
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